同窓生からの投稿
投稿のお願い
 同窓生の皆さんからの近況報告や情報をお寄せください。投稿内容によっては同窓生からの投稿欄のほか蛍友会通信本欄で紹介させていただきます。投稿される方はお名前、電話番号、卒業年度を書き込んでください。当方からメール又は電話で本人確認の連絡をさせていただくことがあります。わずらわしい限りですがいたずらメール対策ですのでご容赦ください。同窓生からの手紙コーナーでは、同窓生本人からの手紙であることを確認の上、掲載しております。内容により、匿名希望でも掲載いたします。なお、この欄の書式は順次体裁を整えてゆきますのでいましばらくご容赦ください。

昭和54年卒30期 新井京子(旧姓:永石) 投稿日:’13/5/7
 100周年記念同窓会当日は子供の学校行事と重なり残念ながら参加することができません。
 皆様で懐かしく楽しいひと時を過ごしてくださいませ。
卒業以来、雪谷高校に足を運ばないまま30年以上が過ぎましたが当時の仲間とは連絡を取り合っています。最近は高校野球で母校の名前を聞くことが多いですね。今年も紙面を通して活躍を楽しみにしています。
’04年(平16)卒55期 木原 恭平 投稿日:’12/6/23
 大田区民大会出場報告(陸上競技部OB 木原 恭平)

 2012年5月4日、大井陸上競技場にて開催された大田区民大会に、陸上競技部OBが出場しました。参加メンバーは私と55期の磯貝君、須山君、本間君、59期の中家君です。また、応援に54期の佐藤先輩夫婦、55期の木君、56期の熊谷さんが足を運んでくれました。毎年、この大田区民大会には陸上部OBで出場しています。この大会には陸上競技部OBチームのAC雪谷が出場されているのを過去に「けいゆう」の記事で読み、実際に何度か大会で目にしていました。今年はAC雪谷の方々とお会いし、色々と陸上競技部のお話ができることを期待していましたが、残念ながら大会に参加しておらず、歴代OBの競演は実現しませんでした。
 大会は現役時代に戦った同じ場所であり、思い出に浸りながら思う存分、力を出し切りました。結果、100mでは磯貝君が3位に入賞し、5000mでは須山君が優勝しました。来年はAC雪谷の方々と競演できればと思います。そして、将来は私たちの代で開催しているOB大会にも足を運んでいただき、様々な世代の陸上競技部が1つになれることを夢見ています。
’92年(平4)卒43期 斎藤尚美(旧姓樋口) 投稿日:’12/2/29
 皆様、お元気ですか 今年で卒業後20年なので、もし同期会、クラス会などがありましたら連絡ください。
’59年(昭34)卒10期 岩崎修平 投稿日:’12/2/20
2011年全日本マスターズ大会(銀メダル)(岡山・倉敷
2011年世界マスターズ大会(5位)(キプロス共和国
 私は雪高を昭和34年に卒業(10期)しました。在学中の担任は1年次坪内先生、2年次鈴木先生、3年次栗田先生です。
 慶応大学理工学部機械工学科を卒業後、旭化成工業(株)に入社。延岡工場から始まり岡山、神奈川、東京に勤務しました。定年退職後は、ISO(国際規格)の品質、環境の審査、及び ISO(国際規格)を取得するためのコンサルテング会社「TOMS 研究所」を設立、健康と安全についての講演を含め今に至っています。。
 戦後の食糧難時代に育った虚弱児のため「健康への憧れが強く、学生時代にウェイトリフティングを始めました。旭化成ではバ ーベル同好会を発足させ、国体選手として3回出場、監督も務めましたが、途中、多忙で中断しました。復活は63歳の時です。今も週2回はスポーツクラブで汗を流しています。
 ウェイトリフティングは64歳の時に東京マスターズ大会62kg級(60〜64歳)で優勝。マスターズ全日本大会(65〜69 歳)では2位。 2007年、ハンガリーで開催されたマスターズ世界選手権大会では62kg級 6位。翌年の同ギリシャ大会では 8位、又、2011年キプロス大会で5位となりました。
 50歳から始めたウォ キングも、歩くだけでは物足りないと走り出したら面白くなり、フルマラソンも完走出来るようになりました。海外デビューは1995年のホノルルマラソンです。 1998年のベルリンマラソンでは57歳で 4時間24分の自己ベストタイムを記録。その他、ボストン、ニューヨーク、ロッテルダム、ゴールドコーストなどで走りました。。
 体調維持の食生活は魚と野菜が中心。適量のお酒と充分な睡眠です。昨年の検査では骨密度が130%と基準の 3割増でしたが、血管年齢が80歳と言われショックを受けました。今後の目標は人間ドックで健康チェックを受けながらスポーツ栄養学を学び、血管年齢を下げ、90歳で現役選手。世界の舞台で表彰台に上がることです。なお、「日本経営開発協会」に登録され、健康と安全についての講演活動も行っていますので、ご利用頂ければ幸いです。

「おおた文化の森」NO・38(2011冬)「老いても青春、いきいきと!」欄に岩崎修平君が紹介されています。
 
’77年(昭52)卒28期 斎藤かおる 投稿日:’11/12/3
 初めまして、私は28期の齋藤かおるです。
現在 私はNGO Universal Diet Cooperation の代表をしていて、国際教育支援活動として インドネパール、日本国内にて活動をしております。
 来年2012年3月14(水)〜18日(日)の5日間、銀座の ジェイトリップアートギャラリーにてチャリティ国際アート展を主催させていただくことになりました。
 何人かの同窓生の皆様にはすでに色々援助いただいておりますが、同窓会のほうでも援助いただけたら嬉しいと思って投稿させていただきました。お手紙の本文はコチラからご覧ください。
’70年(昭45)卒21期 星野行男 投稿日:’11/9/20
螢友会の皆様
 大田区社会福祉協議会では例年どおり雪谷祭に「福祉の店/レインボー」を出店させて頂きました。
「上池台障害者福祉会館」に通所する障害者の方々が作るクッキーや革製品の販売ではおかげさまで他の参加イベントの2倍近い成果をあげ、改めて雪谷高校卒の諸兄諸姉の皆様の福祉活動への深いご理解とともに強い絆を感じることができました。
 会館では施設内の販売はもとより、区内限定ではございますが各出張所管内の地元町会や関連団体、他の都立高校PTA、保育園や児童館のおやつなどにもクッキーやパウンドケーキの注文を承り納品させていただいております。 ご用命の際にはお知らせ頂ければ配達を含めて対応させていただきます。
(大田区立上池台障害者福祉会館/受付:3728-3111)
 私にとってはセカンドライフの仕事ですが福祉活動を介して地元に貢献できればと考えておりますので宜しくお願い致します。星野 行男(大田区社会福祉協議会/上池台分室)
’68年(昭43)卒19期 亀山敏男 投稿日:’11/9/15
画像の上でクリックすると大きな画像でご覧になれます。
監物先生 『出版記念パーティ』 に臨席して
 先日、9月10日、監物先生の「出版記念パーティ」に参席してまいりました。監物先生は、お亡くなりになられました園田先生と同時期の1964年に雪谷高校に就任されました。そして、成瀬高校教員を経て、1994年に定年退職され、「写真」を撮り続けられております。最近の8年間に撮り続けて、ためられた『写真』を、2007年と2008年に 写真展『いのち』 を開かれ、このたび、写真集『いのち』を出版されることとなり、出版パーティを「東京グリーンパレス」にて開かれました。

 成瀬高校の先生方、そして成瀬高校の元生徒さん達、また、写真ゼミの先生方、そしてゼミの生徒さん達、「先生」といわれる方々と「生徒」さんと言われる方々、55人ほどの人たちの集まりでした。ちょっと変わった異時空間の中で、ひとときを、過ごすことになりました。監物先生は、私たち(19期)が1965年に入学した時の1年前から、雪谷高校で教鞭を、おとりになられました。そして、当時の「写真部」(「写真映画部」)の顧問先生でした。「写真映画部」とは名ばかりで、ろくに写真撮影活動もしていなっかったように、記憶しております。まして、「映画」などはことさら????・・・・・・・3年間で一度か二度、先生にご指導していただきましたが、(本当はもっと緻密に顧問されていたのかもしれませんが・・・・・・・・・・・・・・・・・)、そのときのご指導は、
 『シンプルに撮影すれば、シンプルに写った「写真」が、撮れますよ。』
という内容だったような印象を、もっております。今回の『いのち』という写真には、そのシンプルな思いが写っているように、おもわれます。数学という学問が、『分析』からたった一つの答え探し出すものとすれば、写真は、『現象』をシンプルに写し取って、いろいろな答えを提供する芸術だと、思います。さて、今回の『いのち』というテーマの次に、どのような視点の『写真』をお撮りになるのか? 今後のご活動を楽しみに、期待しております。くれぐれもお身体をご慈愛くださりまして、ご活躍くださいますように。3月11日から半年たった今、自分も写真をがんばろうかなと思っています。以上、亀山でした。
’55年(昭30)卒6期 岡田克子 投稿日:’11/8/11
私の生きがい
 私は若い頃から 古刹のたたずまいが好きで、各地をめぐり、由緒ある歴史にふれ心癒されてきました。今でいう「寺ガール」仏像ガール」そのものでした。高期高齢者となった現在でも、全国の寺社をたずね歩き、その旅で訪れた東北のいわきの古刹や仙台、釜石などの古寺も多大な被害を被ったと知り、心が痛んでおります。被災状況も報道されない多くのお寺さんの中には、国宝の白水阿弥陀堂で内部の装飾壁に被害、又沼の内弁財天が水没、そして仙台の東照宮では、石の鳥居や唐門が破損、藩主の伊達政宗のご廟「瑞宝殿」の石灯籠が100基も倒壊したといいます。訪問の折り親切にご案内してくださったり、
会話などの記憶に刻まれた優しいお人柄が今も思い出され案じています。
 寺は「私の癒しのスポット」であり、好奇心と新しい発見に感動があって、その訪ねた記憶を残す手段として、困難な作業でしたがホームページにまとめ毎月15日に更新しています。ストレス社会に癒しを求めてまだまだ続けるつもりです。好きなことは年を重ねても前向きになれるし、興味のある事は忘れないし、続ける事が楽しいのです。思い出の風景を確認すべく私の旅はまだまだ終わらないので、頑張りたいと思っています。
(岡田さんの「寺社探訪は現在進行形で1400ヶ寺」となるそうです。ご自身でその毎月15日にHPを更新しておられます。リンク集に掲載していますが、是非この機会にアクセスをしてみて下さい。岡田克子さんのHP
’59年(昭44)卒20期 池本碩洙 投稿日:’11/7/26
 夏の大会は各地で続々と甲子園出場校が決まっていますが、千葉県は、共に母校の練習相手である習志野と東京学館浦安が決勝に進みました。
 特に、ご存知のように学館浦安は、三月の大震災の影響でグラウンドが使用できず、先だっての螢友会総会の日に母校のグラウンドで試合をしたばかりです。結果は、二試合とも母校の勝利に終わりましたが、あの震災がかえって選手たちの結束心を高めたのでしょうね。過去に目覚しい成績はあげていませんし、相手の習志野は実績のある強豪校ですが、選手一丸となって全力でぶつかってほしいものです。
 一方、神奈川県では、昨日準々決勝が行われましたが、最近力を付けている立花学園が強豪横浜に3−4と惜敗しています。その立花学園のユニフォーム、母校のものと全く同じです。胸の文字が「雪谷」となれば、母校そのものです。
’56年(昭31)卒7期 上田祐弘 投稿日:’11/7/17
残  念!
 今年の夏の予選は残念ながら2回戦で強敵「関東一高」に3対2で敗れました。さて試合経過、評論などは他に譲るとして、我々7期8名は新橋「えのき亭」に移動しました。そこで祝杯ならぬ残念杯?をあげていると、24期の5名と、10期の2名が合流し、15名で残念会を盛り上げました。
 そこで出た瀬端野球部後援会名誉会長の提案ですが、今後、春・夏・秋の大会には応援に行った人は試合後「えのき亭」に集まり、つながりを深めてはどうだろうということことになりました。えのき亭の榎社長は蛍友会報にも載っている6期の先輩で、新橋で初めて焼き鳥の店を開いた50年続く老舗です。試合のある日は何時でも店を開けてもらい、人数も出たとこ勝負でOKということにしていただきました。ただしこれは正式の野球部後援会とは別であくまでも試合当日応援に来た人の中の有志の集まりです。
雪高バンザイ
 
'63年(昭38)卒14期 小林 誠 投稿日:’11/6/10
 昭和38年卒業(第14期)のミニ同期会を御嶽山駅そばの「イタリアントマト」で近隣の仲間が14人集まってくれ1年ぶりに旧交を交えることが出来ました。卒業後初めて御嶽山駅に降りた人もおり、時間の経つのを忘れて歓談しました。ミニ同期会は昨年から始め、メール連絡が出来る人を中心で総会後に行っています。今回連絡が行っていない同期の方はお手数でも小林誠までメールを下さい。また、学校の創立100周年と我々卒業50年が重なります。なにか記念になることを考えていますので、その節はご協力ください。なお、今回の東北震災における後輩の活動に連動して日本赤十字社に前回の同期懇親会残金¥17,500円を寄付しました。
 小林 誠(e.mai:m.kobayashi-silver65@nifty.com
懇談のスナップ写真1 懇談のスナップ写真2
'
’59年(昭34)卒10期 柳瀬和之 投稿日:’11/5/15
 5/12に34期の高橋さんから阪本文男先生回顧展を中心に撮ったフオトエッセイ風のたくさんの写真が送られてきました。同窓の皆さんに何とかご紹介したいものと15期の西山さんとメールのやりとりをしました。代表の村口さん(15期)からも是非載せてくださいとの了解を頂きました。そのおり西山さんから14日(土)4時からのパーテーへのお誘いを頂きました。旧古河庭園のバラを撮りに出掛けましたので、帰途、出席をさせていただきました。びっくりしました。児玉先生ご夫妻が来られたのです。私の3年次の日本史の先生です。52年ぶりの再会です。先生のお隣りに座っていろいろとお話をさせていただきました。帰りは鎌倉までお帰りになるというご夫妻をJR飯田橋駅改札口までお送りしましたが、足取りもしっかりしていてとても90歳を超えられたとは思えませんでした。別れ際に神楽坂を背に写真を撮らせていただきました。写真は先生のお宅に送りますが、先生ご夫妻の素敵な笑顔をとにか同窓の皆さんにお見せることにしました。先生、乞う、ご了解。
写真の上でクリックすると大きな写真でご覧になれます。
私の旧古河庭園バラと石造り洋館もご覧いただければ幸いです。
’83年(昭58)卒34期 高橋陵太 投稿日:’11/3/28
 3月27日の日曜日、母校で定期演奏会が行われることを知り、実に28年ぶりに母校を訪れました。
 私は雪谷高校1年生のときは阪本文男先生が、2年と3年のときは
山崎剛先生が担任でした。そして1年間浪人の末に、東京農工大学と上智大学に合格しました。私は上智大学の方へ進学を希望しましたが、両親からは経済的に負担の少ない国立大学に行ってほしいと頼まれました。
 その時、雪谷高校へ大学受験の結果の報告に行った時に、阪本文男先生が悔いのないように自分が進みたい方へ行くべきだと励ましてくれました。阪本先生には「また雪谷に遊びに来ます。」と約束し、それ以来、足が遠ざかっていました。阪本先生は、私が雪谷へ挨拶へ行ってから、2年後に亡くなってしまいました。私は阪本先生に「また遊びに来ます。」と言っておきながら、再会を果たせなかったことをそれ以来いつも後悔していました。
 今回、定期演奏会が母校の体育館で行うことを螢友会のHPで知って、阪本先生はもういないけれど、行ってみようと思いました。私が通っていたころとは、校舎がリニューアルされて、想像以上にきれいになっていることに驚きました。そして、演奏会も素晴らしく、皆さんが普段から一生懸命に努力されていることが演奏を聴いていて伝わって来ました。雪高生の熱意、それを支える先生方、学校関係者の熱意を感じることができました。
 11日に起こった地震の影響で、今、日本全体が元気がありません。しかし、演奏会を聴いて、平成生まれの若者たちは立派に成長していることがわかりました。これからも卒業生や地域の方々のために素晴らしい演奏を続けて行って下さい。
’79年(昭54)卒30期 匿名希望 投稿日:’11/3/24
 このたびの震災の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。被災地の映像が映しだされるたびに心が痛みます。
 螢友会HPをみて、母校の後輩達が蒲田駅前で募金活動をしていると知り、所用の帰りに立ち寄ってみました。十人ほどの若者が、声を揃え募金を呼び掛けていました。
 災害の後には胡散臭い団体が数多く現れ、募金を始めます。
数年前、募金サギグループの存在がニュースで報道されると、数は減ったようですが、完全になくなってはいないようです。
 どんな団体が、どれくらい集めた金額を、どんな方法で被災地に送ることが出来るのか? 募金をするなら、正しく被災地に届く活動をしている組織に募金したいと、誰もが思っています。
 そんな胡散臭い団体と間違われるようなことはないだろうか。
子供のような世代の若い後輩達の活動が気になります。
 幸い我が後輩達は、雪谷高校OB(が中心になっている任意団体)であることを名乗り、日本赤十字を通じ募金する旨を明確にし、現在までに集まった募金の金額を示す、など、適切な活動をしていると感じ、わずかながら募金箱に投じました。
 彼等の活動を通じ、被災地にエールを贈れたらいいなと感じ、節電に励んでおります。
 螢友会の皆様におかれましては、若い雪谷高校OBの後方支援をお願いしたいと思います。

*******
同窓生からの手紙コーナーでは、同窓生本人からの手紙であることを確認の上、掲載しております。内容により、匿名希望でも掲載いたします。
’49年(昭24)卒六華会 黒柳 美恵子投稿日:’11/3/7
 今年も1月から2月に雪高生の課外授業「奉仕」の体験活動の協力で生徒さん9人引率の先生1人と久が原会館で盆踊り、アヤ取り、久が原の昔からの文化を語るなどの活動をしました。生徒さん達は戦争のことをほとんどしりませんので機会があったらお話をしたいと思います。
注 久が原西自治会に属するクラブに「喜楽会」があります。同窓生の大洞さん(六華会R18)、黒柳さん(六華会R24)、吉成さん(2期)がメンバーとして参加されています。この会が行っている地域での活動に雪高の生徒が課外教育の一環で参加しています。
’04年(平16)卒55期 木原 恭平 投稿日:’11/2/9
 蛍友会HPの手紙欄、拝見しました。貴重な情報ありがとうございます。
 60年以上の歴史があるとは大変驚きました。
内容から推測すると、2014年には創部65周年になるようですね。開校100周年と兼ねたお祝いが出来たら良いなと思ったりもします。
 今年も宜しくお願い致します。
 
’65年(昭40)卒16期 鹿野英子 投稿日:’11/2/1
「懐かしい母校のHPを拝見し、同期の方々の消息を知りたくメールいたしました。
私は鹿野英子と申します。 昭和40年(16期)卒業しました。男女組です。
旧姓のままです。卒業後、早稲田大学に進学し、病を患いましたが、その後就職移転をして、現在千葉市に住んでいます。旧友の何方かと連絡がつけばと思います。どうか宜しくお願いいたします。」

(旧友の方で鹿野英子さんに連絡を取られたい方はHP担当にメールを下さい。
当方から鹿野さんに転送します。HP担当)
 
’81年(昭56)卒32期 富里由加里 投稿日:’11/1/18
55期の木原様
 陸上部OB大会の開催お疲れ様です。
先日、リレーでインターハイに出場経験のある螢友会の元副会長山澤節子さん(2期)に伺ったところによると、学制改革で女学校から高等学校に移行するにあたり、クラブ活動を創るよう進駐軍から指導があり、陸上部ができた、とのことでした。
 インターハイ出場時には、壮行会をしていただいたそうです。
入部のきっかけは、走るタイムが速かった方々が選抜されたため、文化部に入りたかったのに陸上部に入部することになったのだそうです。
 顧問は生物の坪内先生(昭和24〜42年在職)で、先生は現在も学校のお近くにお住まいのようです。3期に初めて男子が入学し、競技の幅も広がったのではないでしょうか。
創部時の資料などがあればいいのですが…、1期の卒業が昭和25年(1950年)3月なので、陸上部には約60年の歴史があると思われます。
 陸上部OBでは他にも、28〜30期の「AC雪谷」が大会に出場するなど活動されていますが、昨年9月に大井陸上競技場で行われた大田区陸上大会では、ハーフマラソン完走の「24期ランナーズクラブ」のメンバーで陸上部OBの鍵和田道夫さんも100m走に出場されました。会報「けいゆう」がきっかけで、「24期ランナーズクラブ」の陸上部OBの鍵和田道夫さんが、「AC雪谷」の現役時代にOBとして指導してくださっていたと判明し、一昨年末に再会していただくことができたので、とても嬉しく思っていました。
 私は陸上部OBではありませんが、木原さんの活動で、縦の繋がりが一気に広がりそうで、ワクワクしています。
’04年(平16)卒55期 木原 恭平 投稿日:’11/1/10
 明けましておめでとうございます。
雪谷高校陸上部OB・OG、及び雪谷高校の関係者の皆様に新年の挨拶を申し上げます。
 昨年は皆様に大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い致します。
 昨年は大会に参加していただいた29名の卒業生、顧問の先生方には感謝しております。
また、蛍友会のホームページでは大会の告知、ならびに開催報告を載せていただきました蛍友会の関係者の皆さんにもこの場を借りてお礼申し上げます。
 今年のOB大会は9月の開催を予定しています。
競技場の予約を取り、日程が確定しましたら案内を送付致します。皆様のご参加をお待ちしております。
 最後に、余談ですが、陸上部が創立した年をご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。
若輩者の私ですが、節目となる年には記念となる周年行事など、歴代の陸上部OB・OG、顧問が集まれる行事が開催できないかと考えております。
 今年も皆様に楽しめる行事を開催出来るよう努めます。
宜しくお願い致します。
 

戻る