蛍友会もどういう事業をするのか議論が始まっています。
学校側も100周年実行委員会を立ち上げられました。
とても有り難いことにこの委員会に同窓生の辻 忠則先生(24期)がおられます。
この委員会から「百周年記念通信」というパンフレットが発刊されました。
蛍友会通信も「百周年に向けて」という特別欄を設けてこうしたパンフレットをご紹介したいと思います。
同窓生の皆様さんもどうか在学中の思い出や恩師のことなどお寄せ下さい。
母校の百年に関わる資料や写真をお持ちの方は是非ご連絡下さい。
文中に幾つかの誤植がありますが執筆者に連絡して訂正してゆきますので、今暫くご容赦下さい。
お気づきのことがあればメールでご連絡下さい。
100周年記念誌通信第1号
YUKIGAYA'S CENTENNIAL(2011/01/13) 東京府荏原郡調布村立女子実業補習学校1913(大正2年)4月1日誕生 日本の学制の骨格は,大正...
続きを読む100周年記念誌通信第2号
YUKIGAYA’S CENTENNIAL(2011/03/27) 本校の歴史を調べていると、高等家政女学校や高等女学校という制度が気にかかる。 一体、高等女学校とは何を目的と...
続きを読む100周年記念誌通信第3号
YUKIGAYA’S CENTENNIAL(2011/09/09) 大平洋戦争末期、本校の前身である東京市立大森高等家政女学校の様子を伝えねばならない。 昭和15年4月11...
続きを読む100周年記念誌通信第4号
YUKIGAYA’S CENTENNIAL(2012/04/05) 戦前から戦後の雪谷高校を支えた人々ー六華会 昭和18年東京都立家政高等女学校は、戦後の昭和21年に東京都立雪...
続きを読む100周年記念誌通信第5号
YUKIGAYA’S CENTENNIAL(2012/05/14) 第5号は、太平洋戦争で満足に勉強をできない中、青春時代を過ごされた私たちの先輩の経験をまとめてみようと思う。 ...
続きを読むゆかりの地荏原郡・調布村
本校の歴史を振り返ったとき、荏原郡や調布村という地名に突き当たる。元来荏原郡は武蔵の国の郡名であり、大田・品川は勿論、世田谷・目黒・港・千代田区の一部にまで及んでいた。 また...
続きを読む私と百周年
百周年実行委員教諭(国語)粂井 和幸 螢友会の皆様、はじめまして。挨拶が遅くなり、誠に申し訳ありません。今年度の四月より東京都立雪谷高等学校に異動して参りました粂井 和幸と申しま...
続きを読む母校の沿革
大正02年(1913/04/01) 東京府荏原郡調布村大字下沼部に調布女子実業補習学校として開校。 大正15年(1926/04/01) 東京府荏原郡調布村...
続きを読む母校の沿革を読んで(HP担当)
母校の沿革を読んでみると昭和18年7月1日から昭和25年4月1日までこの10年に満たない期間に様々な事があったことが想起されます。 昭和20年5月24日「戦災全焼」 大田区のこ...
続きを読む校歌についてのエピソード
もう一つの校歌 オリエンテーションで第1学年は校歌の練習をしました。 卒業してからも折に触れ、ふと校歌を口ずさめるといいですね。 雪校の百年の歴史の中で、校歌が二つあったこと...
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